日本では、卒業祝いもあれば入学祝もありますよね。基本的に、贈る時期に合わせて決めれば良いとか、一つにまとめるのもマナー的にOKとなっています。
アメリカで生活して気づいたことは、卒業に対しては小学校から大学まで、年齢を問わずに保護者や関係者は感無量になりますが、入学に対しては、誰も特別な意識を持たないということです。私としては違和感を感じたので、その理由を調べてみました!
目次
1.理由1:効率的ではない
よく耳にする理由は、入学を祝うことは効率的ではないというものです。入学式という形式上のセレモニーをしても、それは時間の無駄。子供たちを変に興奮させるのではなく、新学期のはじめこそ、腰を据えて真剣モードでスタートしたい、という考え方があるようです。
一方の卒業式は、高校や大学になれば一大イベントで、遠方から祖父母がやってくることもあります。小中学校でも、簡易的な卒業式を開催したり、親が主催でパーティを主催することもあります。
卒業に関するイベントは、子供たちが浮かれ気分になっても、すぐ後には夏休みが控えているので問題ありません。夏休みは浮かれ気分で過ごすものだと考える人も多いですね。
2.理由2:入学は誰でもできる、でも卒業は全員ができるわけじゃない
入学と卒業とで大きな温度差がある理由にはまた、入学は誰でもできるけれど、卒業は全員ができるわけではないという考え方もあるようです。確かにアメリカでは、高校まで入試は一切なく、誰でも高校まで進学できます。しかし高校になると、勉強が難しくて落第したり、問題を起こして停学になる学生も多いですし、妊娠とか逮捕などの理由で退学する人もいます。この辺は、とてもアメリカらしい部分かもしれません。
そのため、誰でもできる入学に関してお祝いをするなんて、アメリカ人にとっては理解不能なのです。卒業という偉業を達成したことに対して、盛大に祝いたいという気持ちがあるのでしょう。
3.理由3:結果ではなく努力を評価するべき
別の記事でも紹介しましたが、アメリカ人と日本人とでは、何を評価するかという点が大きく異なります。日本人は、努力を評価するのではなく、まずは結果を評価する文化です。しかしアメリカ人は、努力したことを最大限に評価し、結果は二の次三の次、という人も多いです。
例えば高校卒業と大学入学を比較したときに、日本だと大学へ進学する人に対しては、おそらく入学祝を贈るでしょう。進学しない人に対しては、卒業祝いよりも就職祝いとなることが多いと思います。つまり、進学とか就職という結果に対して、そして未来へ対しての激励という意味もあるのでしょう。
アメリカの場合には、努力を評価することが大切なので、どう考えても入学祝や就職祝いではなく、「高校を頑張って卒業しました、おめでとう!」という気持ちになる人が多いのかもしれません。