脱「人種のるつぼ」、目指せ「サラダボウル」!

アメリカといえば、他民族で構成されてる多種多様な人々が、アメリカという国を作り上げているという点から、人種のるつぼと表現されることが多いですよね。

しかし今アメリカは、この「人種のるつぼ」を脱却してカナダ式の「人種のサラダボウル」を目指していることはご存じでしょうか?

目次

  1. 人種のるつぼとは?
  2. 人種のるつぼの歴史
  3. どうしてサラダボウルを目指すのか?
  4. グローバルな社会ではサラダボウルが必須

1.人種のるつぼとは?

人種のるつぼには、「多種多様な民族が混ざり合いながらアメリカという国民性を作り上げる」という意味があります。アメリカは、ネイティブインディアン以外はもともと移民で作られている国家なので、それぞれが持ち寄った良さを生かしながら、新しいアメリカという価値観を作り上げましょうという意味合いなのでしょう。

しかし、この「るつぼ」という言葉は、元の形状を溶かしてしまうという意味合いがあります。つまり炎上を恐れずに表現するなら、

「それまでの文化的かつ民族的かつ人種的な背景を捨てて、アメリカ人としてふるまうことを求められる」ということだと受け止めることもできます。

ちなみに、アメリカのお隣にあるカナダでは、アメリカの「人種のるつぼ」と対比して「人種のサラダボウル」とか「人種のモザイク」などを表現されています。これは、もともとの形を維持しながら他の個性と共存し、お互いの違いや個性を尊重する」という意味があります。

例えばサラダボウルに入っている具を見ると、レタスやキュウリ、トマトなどがありますが、全部が溶けてドロドロになっているわけではありません。それぞれが形をしっかり維持しながらハーモニーを作り上げています。これが、人種のサラダボウルなのです。

2.人種のるつぼの歴史

「人種のるつぼ」という言葉は、1908年にイギリス系ユダヤ人の作家が書いた戯曲に基づいています。

それまでのアメリカは、移民が集まった国として、さまざまな問題を抱えていたようです。

  • 話す言葉が違う
  • 宗教が違う
  • 教育を受けていない人が多い

などが挙げられます。例えばヨーロッパからの移民といっても、ヨーロッパには様々な国や宗教、文化があるわけで、それをそっくりアメリカに持ってくると、他人との対立がどうしても生まれてしまっていたのです。

そんな時に発売された「人種のるつぼ」という芸術作品は、燃え盛る日の中で様々な人種が溶けて同化し、一つの成果物を作り上げるというアメリカの大地を表現した作品でした。

そのコンセプトが大うけし、現在でもアメリカ=人種のるつぼ、となっています。

3.どうしてサラダボウルを目指すのか?

人種のるつぼのコンセプトに基づくと、多種多様な文化や民族、人種が溶け合って一つの中間地点で折り合いをつける、それがアメリカだ、と考え方になるでしょう。

しかし実際には、アメリカ国内で大多数を占める白人の文化が標準となっており、それ以外は白人の文化や価値観に合わせることが「アメリカ人になること」だと考えられるようになりました。

しかし、それで満足するのは自分ファーストでいられる白人だけ。ほかの人種や民族からは批判が出るようになったのです。

1960年代に始まったマーティン・ルーサー・キング牧師による公民権運動をきっかけに、少しずつメルティングポットなコンセプトは公平ではないという考えがアメリカに広く普及していきました。

そこで「個性を生かしながら他者と共存できる社会」というコンセプトで、「人種のサラダボウル」「人種のオーケストラ」「人種の連邦体」など、別の表現が使われるようになりました。

4.グローバルな社会ではサラダボウルが必須

現在は、国境を越えてグローバルな経済活動が活発に行われやすい環境が整備されています。今後もその傾向が続くことでしょう。

そんなグローバルな社会においては、自分の個性や文化、民族や価値観をポイと捨てて他人にこうしろと言われた価値観に合わせることは、得策ではありません。世界中に多くの人がいて、多種多様な価値観があることが、グローバル化を促進する要素となっています、だからこそ私たちもこれからは、人種のサラダボウルを目指して毎日を生活することが必要なのかもしれませんね。

ところ変われば距離感も変わる!国別パーソナルスペース比較

少し前に、韓国でハロウィーンを楽しむ人たちが狭い路地で押し合いへし合いとなり、将棋倒しになって多くの人が死亡するという悲しい事件が起こりました。原因はいろいろありますけれど、パーソナルスペースもその背景にあったようですね。

そこで今回は、パーソナルスペースについて考えてみました!

目次

  1. パーソナルスペースは国や文化によって大きく変わる
  2. アメリカと日本の差はどのぐらい?
  3. パーソナルスペースの違いを感じるのはどんな時?

1.パーソナルスペースは国や文化によって大きく変わる

パーソナルスペースとは、自分だけの快適な空間のこと。そこに他人が入り込むと、不快感を覚えるのが特徴です。これは人種や国、文化に限らず誰もが持っているものですが、どこまでの距離感なら不快に感じないという点は、文化圏によって大きく変わります。

パーソナルスペースが広い国

距離(パーソナルスペース)
ルーマニア139㎝
ハンガリー130㎝
サウジアラビア126㎝
トルコ123㎝
パーソナルスペース広い国ランキング

こうした国では、例えば開店前のラーメン屋の前で人が行列を作る場合でも、距離がかなり開いています。「コロナ禍だから距離を取りましょう」と言われなくても自主的に普段から距離を開ける文化圏ですね。

パーソナルスペースが広い国は、一般的にシャイな文化を持つ国が多いです。初対面の人とハグやキスなんてとんでもない!握手もしない!離れた所からお辞儀や笑顔だけで十分!と考える人が多いのかもしれません。

パーソナルスペースが狭い国

距離(パーソナルスペース)
アルゼンチン76㎝
ペルー79㎝
ブルガリア81㎝
ウクライナ81㎝
オーストリア88㎝
パーソナルスペース狭い国ランキング

パーソナルスペースが狭い国は、ハグやキスの習慣があったり、初対面の挨拶では最低でも握手などの文化があります。ラテンの国はパーソナルスペースが狭い傾向にありますね。

2.アメリカと日本の差はどのぐらい?

アメリカのパーソナルスペースは95㎝。つまり、自分の半径95㎝以内に人が入ってくると、不快に感じたり脅威に感じるという事ですね。

そして日本は90㎝。アメリカとそれほど変わりませんが、体感的には、日本の方が知らない人との距離が近くても不快に感じない傾向があるような気がします。

その理由は、日本の文化と大きく関係しています。例えば日本では、多くの人が通学や通勤でバスや電車を利用します。ラッシュアワーになると、乗車率300%程度になってしまう路線もあり、そうなると、他人とぴったり密着するのは当たり前、圧迫されて苦しくて呼吸ができないなんてことはさすがにありませんが、顔が痒くてもポリポリできないという事は普通にあったりします。

アメリカでも、NYCなどにはラッシュアワーがあります。しかし日本の山手線並みの混雑や密着になる路線はありません。混んではいるものの、まったく知らない人の顔の毛穴をマジマジと見るなんて距離にはならないでしょう。

3.パーソナルスペースの違いを感じるのはどんな時?

国ごとに異なるパーソナルスペースの違いを感じる瞬間は、日常生活の中でよくあります。その中でも多くの人が体感するのは、

列に並ぶとき

ではないでしょうか。どんなふうに列に並ぶかを見ると、パーソナルスペースの背後にその国の文化が見えてくることは多いですね。

中国はこんな感じでも気にならない

例えば中国だと、社交の場でも男女を問わずに距離感が近く、ボディタッチが多めの文化なのだそうです。パーソナルスペースが狭いのは、だからなのかもしれませんね。

ただしこの国には「列に横入りしてもOK」という慣習があり、「横入されるのは、隙間を作っていた人が悪い」と考えます。だから列に並ぶときには特に、隙間を作らないように意識するのだそうです。パーソナルスペースだけの問題ではないようですね。

インドもすごいぞ

インドのパーソナルスペースも、写真を見ての通り、とても近いです。インドは人口が多くて大家族、人口密度が高いので、他人との距離を気にしていたら生きていけないのかもしれません。

スウェーデンではこんな風に並びます

人口密度が低い国では、他人と否応なくぴったりくっつくことはありません。自分から意識してくっつこうとしない限りは、そうなる状況がないのです。特に北欧や東欧では、南欧と比べるとシャイな文化だからでしょうか、みなさん「え?これって並んでるの?」というぐらいの距離を開けるのがデフォルトのようです。

番外編

もしも子供が小さな時からパーソナルスペースの概念を教えるなら、アマゾンでこんな役立つアイテムがあります。

アメリカは本当にベビーにやさしい国なのか?

少し前にツイッターで、テーマパークのアトラクションで赤ちゃんが泣いてしまい、パーク側の対応がどうだったのか、また赤ちゃんが泣くことに対しての様々な意見が繰り広げられていました。

そういえば日本では、電車にベビーカーを持って乗ろうとすると文句を言われたり、ベビーカーを持っている人が乗れる専用の車両を作ると非難ゴーゴーだったり、赤ちゃん連れの人にとっては暮らしにくい文化だと感じることが多々あります。

しかしその一方で、ショッピングモールにはベビールームなるオムツ変えルームが設置されていて、授乳ができたり、中には離乳食の販売までされているような場所もあります。

アメリカは、日本と比べてベビーに対する風当たりはどうなのでしょうか?私が経験したエピソードをご紹介しますね。

ベビーの選別

miniature of a plane

私は夫の職業柄、息子が生後数か月の頃から飛行機に乗る機会が多々ありました。ベビー連れなので優先的に搭乗させてもらえるわけですが、あとから乗ってくる乗客の表情は皆、とても冷たいものです。

「あら~、今日はベビーがいるのね、ラッキー♪」

「赤ちゃん、何ケ月?」

なんて人は、正直、皆無です。皆、息子を見ては、

  • 大きなため息(訳:まじかよ、今日はついてねーな)
  • 黒目を回す(訳:うそだろ、赤ちゃんの近くかよ!)
  • 聞こえるレベルでの舌打ち(訳:ふざけんな、なんでベビーが乗ってんだよ!)
  • 「混んでるのに、子供なんて乗せんな」(心の声が言葉に出てしまった)
  • 「子供なんて、床に置けよ!」(これも、心の叫びが声になってしまった)

など、色々な洗礼を受けました。はい、私自身も、もし息子が泣き叫んだらどうしよう、と不安な気持ちでいっぱいでしたし、赤ちゃんですからおもちゃで遊べるわけでもなく、泣いても抱っこして通路をウロつくぐらいしか対策はありませんでした。

あいにく、息子はどういうわけかよくできた子供で、フライト中に泣くことは今まで一度もありませんでした。本当に、親孝行ものです。私が何か素晴らしいスキルを使ったというわけではなく、しつけたというわけでもなく、彼が生まれ持った性格なのだと思います。

数時間のフライト中、トイレが近い私は何回も席を立つことがありました。おそらく皆さん、泣くかもしれないベビーの親が私であることを明確に認識していたのでしょう。フライト後しばらく経過したぐらいから、私がトイレに行くたびに

「ベビーは寝てるの?」

と聞いてくれる人がチラホラいました。たいていは、中高年のオバサンが多かったですね。おそらく、私の不安を少しでも軽減しようと、親切心で声をかけてくれたのだと思います。

そしていつも、赤ちゃんが全く泣かずに目的地へ到着した途端、事態は急変するのです。はい、ほぼ毎回、同じパターンでした。

舌打ちや文句を言っていたオジサンたちが、次々と

  • 「いや~ホントに静かなベビーで、最高だよ!」
  • 「どうなることかと思ってたけど、泣かないベビーっているんだね!」
  • 「全然泣かないからさ、途中で死んでるんじゃないかと思ったよ!」
  • 「こんなベビーとのフライトなら、いつだって大歓迎さ!」

など、満面の笑みで息子に称賛の言葉を投げかけてくれました。

私が、こうした経験の中で感じたことは、アメリカは無条件にベビーに優しいというわけではないという事です。大人たちを不快にさせないベビーに対して温かいのだ、という事でした。

ちょっとした親切はアメリカが優秀

息子を育てる中では、私はずっと車社会の生活をしてきました。車を持たずに電車で移動することは、これまで一度もありませんでした。

車での移動と言っても、ショッピングモールなどに行くと移動はとても大変です。本音 としては、エスカレーターにベビーカーごと乗ってしまうと楽なのですが、知らない人から説教を受けそうでしたし、何かに躓いて事故になっても大変なので、いつもエレベーターを利用してました。

エレベータはドアが勝手に開くので、それほど利用は難しくありません。しかし、モールの入り口のドアなどは、ボタンを押すと勝手に扉が開く自動ドアがなければ、私がお尻でドアを開け、ベビーカーを後ろ向きにして通る、という方法を駆使していました。

そんな時でも、そばに人がいると、たいていはドアを開けてくれます。ベビーカー持ちの人にとっては、これは大きな親切だと思いますね。ママ友の中には、エレベーターがない階段の移動の時、知らない男性がさっとやってきてベビーカーを持ってくれた、なんて人もいました。

こうした「困っている人に手を差し伸べる」ことに関しては、アメリカ社会は日本社会よりもはるかに優しいと思います。もちろん、ベビー連れだけにやさしいわけではなく、高齢の人や障碍者の人に対しても、そしてペットに対しても、皆さん同じように、さっと手を差し伸べます。

もちろん、アメリカ人が全員弱者に対して親切で、日本人は全員冷たいというわけではありません。社会とか文化というざっくりとしたくくりで見ると、弱者に対する個人レベルの優しさという点では、アメリカの方が他人の優しさを感じる機会が多いな、という気がしました。