アメリカには、Political Correctness(ポリティカル・コレクトネス)、という言葉があります。直訳すると「政治的に正しい」という意味なのですが、分かりやすく一言でいうなら「公共の場ではこういうべきだ」みたいな事です。つまり、自分の発言によって誰も不快にならないように気を付けて言うならこういう発言だよね、というお手本がポリティカル・コレクトネスに当たります。
アメリカは多民族国家で、人種も違えば生まれ育ってきた背景や環境、経済的な立場も、何もかもが多種多様です。そんな中で自分が「誤解を恐れずに発言するなら。」なんて言ってしまうと、必ずどこかの誰かが不快になってしまうわけですね。ネットなら大炎上、有名人なら謝罪の刑となるかもしれません。
だからアメリカ人の多くは、公共の場では、特に多くの人が自分の発言を聞いている場では、優等生的な発言しかしません。それでやる気を掻き立てられるという人もいるのでしょうけれど、つまらんと感じる人ももちろんいます。
ここからは、不快になるかもしれない内容です。ネガティブな気持ちにさせてくれるなという人は、退出することをおすすめします。
目次
1.私が見たポリティカル・コレクトネスの裏側
息子が通っていた大学では、保護者のためのFacebookページがあります。これは、在学生でなければ閲覧も投稿もできない閉鎖された空間です。皆さん、普段は
「子供にケーキを配達したいんだけど、どこがおすすめ?」
「冬休みのシャトルバス、もう予約はじまった?」
なんてたわいもない情報交換の場になっており、私もたまに利用していました。
しかし先月、大学のキャンパス内でShooting Threat があり、地元の警察だけでなくFBIまで出動し、キャンパスが半日ほどロックダウンしたという事件がありました。
翌日、犯人が警察に逮捕されたのですが、それがなんと学生だったのです。
そのFacebookページでは、怒り狂った保護者たちが、ポリティカル・コレクトネスなどクソ食らえとばかりに本音を吐き出していて、私は怖くなりました。
100名ほどの保護者が髪を振り乱しながら感情をむき出しにして投稿していたその内容は、ざっくりまとめると、こんな感じでした。
「ちょっと、学生が逮捕されたんですって!誰よ?名前、誰か知らない?」
「それは、公表しないでしょ、大学側のポリシーなんだし」
「ポリシーなんてクソ食らえよ!うちの可愛いメアリーちゃんが恐怖体験をしたのよ!つるし上げるべき!」
「そうよそうよ!うちのボビー君だって、トイレにも行けずに大変だったって言ってたわ!逮捕だけなんて生ぬるい!民事にもして賠償責任を取らせるべき!」
「それはいいアイデアね、誰かニューヨーク州の弁護士、これ読んでない?」
「ちょっとみんな、落ち着いてよ。そんなことよりも、その学生がどうしてそうしたのか、理由を追求して必要な医療ケアを提供するべきじゃない?」←ポリティカル・コレクトネス
「あんた頭おかしいの?ケアなんて自分で勝手にやればいいのよ!最低でも永久追放!退学決定でしょ!」
「退学程度じゃ甘くない?まずは実刑、その後民事で搾り取りましょうよ!」
「いやだから、みんな、冷静になってよ。私たちも学生の親でしょ?まずはその子の心のケアを優先に考えるべきよ」←ポリティカル・コレクトネス
「そうよ、その子の親だってこれを見てるかもしれないわ」
「誰が知るかそんなこと!クソ食らえだ!」
「そうだ!制裁を!」
。。。。。とまあ、こんな調子で延々と討論されてました。
後日、その学生に対する退学を求める署名運動がFacebook上で繰り広げられていましたが、私は気分が悪くなったので詳しくは見てません。
2.表と裏がない人にとっては嫌悪感、だけど社会には必要
発言に表や裏がない人にとっては、ポリティカル・コレクトネ自体が不快かもしれません。ポリティカル・コレクトネスを使う人を、二枚舌だと呼ぶ人もいるでしょう。
確かに会話がポリティカル・コレクトネスだけだと、誰も本音を言わずに表面だけの浅い会話で終わってしまいます。アメリカではそういうケースはとても多く、会議をしても時間の無駄ということも少なくありません。
しかし、普段は耳障りが良い言葉で正義を語っていた人が、豹変して一人の学生をつるし上げようと声を大にする姿に、私は何とも言えない不快感を覚えました。
アメリカに限らず、社会人として生活する上ではある程度のポリティカル・コレクトネスは必要不可欠だと思います。でも人はどんなタイミングで本性を出すかは分からず、それを見た時には幻滅を通り越して反吐が出るほどの嫌悪感を感じることを、私は遅ればせながら経験しました。
信じるか信じないかは、あなた次第です!